自動運転は現在の車社会と共存できるのか?

回路 コラム
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回路

私がまだ小学生の頃、アメリカのTVドラマ「ナイトライダー」が放映されていました。自動運転をはじめ、レーザービームまで搭載された夢の(架空の)車を、毎週ワクワクしながら観ていました。

そして現在、その夢の車が現実のものとなりそうです。さすがにレーザービームは搭載されませんが・・・。

自動運転車に寄せる思い

当時、ナイトライダーに登場したK.I.T.T.(Knight Industries Two Thousand)という車、ポンティアック・トランザムをベース車両としていて、今見てもかっこよく、人工知能によってあたかも人間のように会話することもでき、非常に魅力的で憧れの車として、鮮明に覚えています。

この「K.I.T.T.」、操縦者であるマイケルの指示があって初めて動き、人命保護を最優先にプログラムされています。これはシリーズを通じて一貫されていて、観ている者に、表現し難いですが、安心感のような感覚を与えていました。

友達のように会話をして、呼べばすぐに来てくれる。「将来、こんな車に乗りたい!」そう思える理想の夢の車でした。

2016年現在、その夢の車が現実味を帯びてきました。日本では2020年の実用化を目指して、国家プロジェクトとして取り組んでいるようです。

しかし、私が子供の頃抱いていた、自動運転車への憧れは、自ら運転できるようになり、運転の楽しさを知ってしまった今、何故かもの凄くツマラナイものに感じられてしまうのです。

自動運転車が絶対に解決できない課題

「絶対に」とは少々大袈裟かもしれませんが、どんなに高性能なセンサーを搭載しても、どんなに的確に車を制御できても、たとえそれらが人間の知覚を遥かに超えていても、コンピュータは常に一つの正解を導き出します。「0」か「1」か。「All or Nothing」

人間の行動を予測できない

自動運転が実用化されても、全ての車が自動運転車になることはないでしょう。法律で義務化したとしても、違反する人はするのです。スピードリミッターを解除するように、自動運転だって解除して乗る人は現れるでしょう。

必ず自動運転車とそうでない車とが共存する期間があるはずです。加えて、人間は時に思いもよらない行動をすることがあります。

例えば、自動運転車に対して、興味本位で車間を詰め、煽り運転をする輩がいたとします。接触ギリギリまで車間を詰める不届き者に対して、果たして自動運転車はどういう判断を下すのでしょうか?

接触しないように、制限速度を超えて加速するでしょうか? 前走車が減速し始めたら、煽ってくる車のことなど考えずに減速するでしょうか?

人間であれば答えはすぐに出ます。正しいかどうかはさておき。その答えはどんな状況においても一つではありません。対して自動運転車はというと、制限速度を遵守するようにプログラム?されているのなら、接触の危険があってもそのまま何事もなかったかのように走行を続けるでしょうし、絶対に接触事故を起こさないようにプログラムされているのなら、制限速度を超過してでも衝突を回避するでしょう。

冒頭のナイト2000(K.I.T.T.)なら・・・超加速してブッチぎる、或いは人命最優先ならば自分に衝突させて停止させ、各種センサーで不届き者の無事を確認したら、お説教の一つでもするでしょうか。

人間の気持ちを理解できない

例えば雨の日、歩道を歩く人間を、自動運転車は認識することができるでしょう。車道と離れているので安全です。車道の轍(わだち)には水溜りができています。高性能なセンサーやレーダーで水溜りも検知できるかもしれません。通常の速度であれば、水溜りも問題なく走破できて安全だと判断し、そのまま走行するでしょう。そして、水溜りの水を跳ねて歩行者に浴びせてしまいます。

自動運転車は何の罪悪感もなく、何事も無かったかのように走り去るでしょう。人間の運転であれば、歩行者を気遣い、轍の水溜りを避けて通行するかもしれません。簡単に言えば、自動運転車=コンピュータは空気が読めないのです。

被害を定量的にしか判断できない?

ありえない状況かもしれませんが、どうやっても事故を回避できない状況も起こり得るかもしれません。そのまま進めば自車と運転者が被害に遭い、右に行けば歩行者(子供)一人と接触し、左に行けば、屈強な大男、三名に突っ込んでしまう。そんな三択を迫られたとき、自動運転車はどういう判断をするのでしょうか?

被害を与えてしまうことが不可避の場合、被害の大小を「数」でしか捉えられないとしたら・・・?

自動運転車の解決できない課題、それは答えがない状況において、「判断」ができないということです。想定外の事象で事故が不可避の瞬間、運転者に判断を委ねられても遅すぎます。

あとがき

昔憧れていた自動運転と、現在実現しそうな自動運転、二つのイメージが大きくかけ離れているために、少々否定的な意見を書いてしまいました。それでも、「人が想像できることは必ず実現できる」とどこかのCMのキャッチフレーズにあるように、自動運転技術はどんどん進歩していくでしょう。

そしていつか、K.I.T.T.のような夢の車が現実のものとなる日もくるでしょう。まだまだ問題点が沢山ある自動運転技術ですが、今後も私の感じたことを記事にしていけたらと思います。

それでは、良きカーライフを。