ハンドル握ると性格が変わる私は、家族の存在に救われた

車のハンドルとダッシュボード コラム
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車のハンドルとダッシュボード

自分で言うのもアレですが、私は普段はおとなしく温和な性格なのですが、車の運転席に座ると性格が豹変するようです。

いわゆる「ハンドル握ると性格が変わる人」でした。今ではそんな運転スタイルを猛省し、安全運転になっていますが、それは家族の存在が大きな理由でした。

若かりし頃の運転スタイル

私が運転免許を取得して、初心者の頃は少し緊張もありましたが、毎日運転しているとすぐに慣れてきて、車の運転を怖いと思ったことはありませんでした。

もちろん、自分で制御できる限界なんて知りもせず、スピード超過は当たり前、遅い車を煽ったり、深夜の首都高を暴走したり、峠道を攻めてみたり・・・と、傍迷惑な運転をしていました。

自分のミスでガードレールに張り付こうが、崖下に転落しようが、他人を巻き添えにしなければいいや・・・と軽い気持ちで運転していたんです。

渋滞時は常にイライラ・・・自分でもわかるくらいに、頻繁に舌打ちしては車線を縫うように右へ左へ、先を急いでいました。

それでも「運よく」事故も起こさず、違反で捕まることもなく過ごしていました。

今思えば、本当に運が良かっただけで、周囲の車が危険を回避してくれていたんだと実感しています。周りには迷惑と不快感をまき散らしていたのですが・・・。

結婚、そして最愛の我が子ができて

そんな私も結婚し、あろうことかこんな遺伝子を受け継いでくれる我が子まで授かりました。

人間、子供ができると変わるとはよく聞きますが、本当に生活が一変しました。

それと同時に、自分の運転スタイルまで一変したんです。スタイルというより、車の運転が怖いと感じるようになりました。

若かりし頃よりも「運転技術」は向上しているのは間違いありませんが、恐怖心は確実に芽生えたんです。

スピードが怖いとか周りの車が怖いという、初心者やペーパードライバーが感じる恐怖ではなく、事故を起こしてしまったあとの社会的責任だとか、事故で我が子を亡くすかもしれない。ありきたりだけど幸せな生活が壊れるかもしれない・・・という怖さです。

若い頃は自分の未熟な運転で自ら事故を起こし、たとえ死亡したとしても後悔はないと思っていました。

失うモノは自分の身ひとつ。せいぜい家族が悲しむくらいだろう・・・と楽観していたのですが、いざ自分の家族ができると、それを失う怖さで身震いしました。

こんな運転をしていてはいけない

たとえ家族を巻き込まなくても、私が事故でこの世を去ったり、加害者として交通刑務所に収監されたり、そこまでいかなくても、懲戒で職を失ったとき、我が家は一体どうなってしまうのか?

残された妻と娘のことを想像すると、日々漫然と運転したり、感情に任せて運転したり、周囲に危険と不快感をまき散らす運転をしてきた自分が怖くなりました。

事故の被害者はもちろん、加害者となっても、決して幸せな日々は送れません。

この、「車を運転することの恐怖」をどれだけの人が理解してるかはわかりませんが、私は家族の存在がそれに気づかせてくれました。

べつに交通安全を啓蒙しようという気はありませんし、免許証更新の際には教習所で耳にタコができるほど聞かされていることだと思いますが、この記事が車の危険性についてほんの少し考えるきっかけになれば幸いです。

車はこの上なく便利で楽しい道具ですが、ちょっとした油断で人生を狂わすこともできる凶器でもあります。

心の片隅にでもとどめておいていただき、車と付き合っていただければと思います。

それでは、良きカーライフを。